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日 本 脳 炎 ワ ク チ ン を う つ の は や め よ う §1.日本脳炎は 日本脳炎は、極東全域に見られる病気で、バイカル湖の東部から、朝鮮、中国本土、台湾、グァム、サイパン島に至る太平洋の島々、東南アジア、インドネシア、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、スリランカ、パプア・ニュ-ギニアからオーストラリアに侵入し、いまだに一部の国で流行している病気である。しかし、世界的には流行しているが、日本と韓国ではすでに流行は無い。中国や台湾でも流行は減少している。それを世界のワクチン推進論者はワクチンの効果と言うが、私はヒトとウイルスとの適応関係(社会的、環境的、免疫学的)ができあがったので、発病することの無くなった病気となったと考える。日本でも大正13年(1924年)の大流行が有名で、その後80年(3世代)以上かかってほとんど問題にされなくなったが、そのくらいで各国でも流行が終焉していくと思う。§2.どんな病気か(1)日本脳炎ウイルスは、鳥や豚など温血動物で繁殖し、蚊(日本ではコガタアカイエカ)が媒介する。ヒトと馬に脳炎を起こすが、鳥や豚には病気を起こさずウイルス血症を起こすので日本脳炎ウイルスの増幅動物だが、種豚の妊娠中にかかると子豚が死流産するので養豚農家では、大きな問題で、種メス豚に生ワクチンを接種している。ヒトからヒトへは伝播しない。◇ 日本脳炎ウイルスはフラビウイルス科に属し、西ナイルウイルス、セントルイス脳炎ウイルス、マレー渓谷脳炎ウイルスは相同性が高く、日本脳炎血清型群と呼ばれるという。(感染情報センター)だから日本脳炎ウイルスに対する細胞免疫や抗体産生能力をもっている日本人は、交叉免疫があればこれらの病気にかかる確率は低いし、かかっても重症化しないことが多い。(まだ確認されていないが、日本人がかかった情報はない)(2)臨床症状◇ 日本脳炎の潜伏期間は6~16(7~20)日。◇ 典型的な症状は、髄膜脳炎型であるが、脊髄炎型もある。典型的には、38~40゜C以上の熱が数日続き、熱と共に頭痛、嘔吐、めまいなどで発病する。(小児では腹痛、下痢を伴うことも多い。)その後、項部硬直、光線過敏などの髄膜刺激症状、意識障害、筋強直、不随意運動、振戦、麻痺、病的反射などの脳神経症状が出てくる。小児ではけいれんが多いが、成人では少ない。髄液圧は上昇し、髄液細胞数も上昇する。◇ 感染しての発病率は、100~1000人に1人(感染情報センターの数字だが、現代では疑問)から、2000~5000人に1人(過去の推定データ)と言われ、現在はもっと低く、不顕性感染(感染しても発病しない)がほとんどである。◇ 日本脳炎ウィルスは、脳や神経系で増殖するウィルスで、現在は特効薬はなく、死亡率が15%と高く、治っても後遺症が30%と残り易い。尚、脳炎症状のほかに、胃腸の出血や穿孔もある。発病率、死亡率、後遺症率は年々低下している。(3)日本脳炎の発生も死亡も激減している。 日本では1924年から流行が報告され、患者数が5千名を超える年も、死亡率が90%を超える年もあったが、現在は1992年以降2000年までは患者数は一桁で年2~7人、死亡は2人だけである。そのうち患者は15歳が1人で、あとは老人である。死亡も老人だけである。この傾向はどこの国でも同じで、流行の始めは死亡率が高く、しだいに減少し、流行がおさまる頃には大幅に低下していく。これはウィルスと人間との適応関係で、共存の道をたどっているからである。◇最新のデータでは(感染情報センター)表1年次 患者数 罹患率(人口10万対) 死者数 年次 患者数 死者数1991 13 0.01 4 1995 2 01992 2 -(計算無意味) 0 1996 4 01993 4 - 1 1997 4 01994 4 - 0 1998 2 0年次 患者数 死者数1999 5 02000 7 1 以上1991~2000年の10年間の患者数は47人、死者6人で、この間、予防接種年齢の罹患者は1999年に15歳1人、死者0である。ワクチンができたのは、1965年で、接種は子どもだけであった。だから普通の人は、希望者を除いて、56歳以上は受けていないはずである。また接種率も100%にはほど遠かった。 2000年の年齢階層は、30歳代1名、40歳代1名、60歳代2名、70歳代1名、80歳代2名で死者は87歳であった。また同年の県別では、山口2名、長崎、高知、佐賀、岡山、大分各1名であった。◇ 発生時期は6月から9月までの夏場だけである。尚日本脳炎は北海道には存在しない。 (4)不顕性感染-かかっても発病しないこと 厚生省は流行予測事業の一環として血清の中和抗体を測っていた。その結果を見ると、1966年から1980年までの間で、年齢が高くなるに連れて抗体陽性率は50~90%としだいに上昇し、各年齢毎の率は15年間の間にほとんど変化していない。 高齢者で抗体が90%前後あることは、多くの人は知らない間にかかっていて発病していないことを示している。特に後年はワクチン未接種者を対象にしているのでその信頼性は高い。この調査は一時中断された。 表2 中和抗体保有率 1981年(厚生省伝染病予測調査)(中和抗体10倍以上の人の率)年齢 ワクチン歴あり ワクチン歴なし 年齢 ワクチン歴あり ワクチン歴なし0~4 77% 40% 30~39 79% 65%5~9 88% 44% 40~49 86% 74%10~14 81% 30% 50~59 70% 72%15~19 77% 65% 60~ 100% 84%20~29 79% 53% このことから一般には、かかっても大多数の人は発病せずに免疫ができ、発病率は1990年当時では、 0.05%(2000人に1人)以下、と言われた。現在は計算不能なほど低い。 表3 日本脳炎中和抗体保有率 2000年日本脳炎感受性調査(国立感染症研究所)全体調査 年齢 抗体なし 抗体10倍以上 年齢 抗体なし 抗体10倍以上 0~4 59% 41% 30~39 35% 65% 5~9 18% 82% 40~49 44% 56% 10~14 18% 82% 50~59 35% 65% 15~19 23% 77% 60~ 28% 72% 20~29 18% 82% 表4 予防接種歴別日本脳炎中和抗体保有率 (同上調査)(中和抗体10倍以上の人の率) 年齢 ワクチン歴あり ワクチン歴なし 年齢 ワクチン歴あり ワクチン歴なし 0~4 100% 16% 30~39 25% 44% 5~9 96% 16% 40~49 - 27% 10~14 100% 71% 50~59 100% 51% 15~19 71% 40% 60~ - 80% 20~29 100% 87% ワクチン歴の無いのに60才以上では前の調査では84%以上、今回調査では80%の人が抗体を保有しており、ほとんどの人は一生の間のどこかで、自然に感染し、発病せずに終わり(不顕性感染)、抗体をもつようになっている。日本脳炎ウィルス保有蚊に刺されて感染が成立し、これが感染率で、感染した人が発病する発病率は、その時代と地域で異なる。今流行しているインドの低所得階層では20~30人に1人が発病し、現在の日本では5000人に1人以下が発病すると云う。§3.日本脳炎ウイルスは減少しているが、まだ日本には存在する。◇ 毎年蚊を採集しての日本脳炎ウィルスの検出調査では、調査を続けていた富山県、京都市、大阪府、佐賀県、長崎県、熊本県では、早い所で富山県の1973年、遅い所で大阪府の1997年で、見つからなくなった。(富山県衛生研究所 渡辺護による)◇ 現在、ワクチン接種では産生されない抗NSI(日本脳炎ウイルス非構造蛋白質)抗体を測定する方法が確立されたという。その結果、1980年代で都市部は10%、農村部では20%の人がウイルスに自然感染しており、1995年でも都市部では約10%の人の自然感染が発生していることがわかった。(小西らの研究、森田公一による)◇ また前記の2000年の日本脳炎中和抗体の調査でも、ワクチン歴なしの人の中和抗体が80%にも上ることは、抗NSI抗体の保有と共に、自然感染を受けているが発病していないことを示している。◇ 日本脳炎のウイルスの研究では、日本では1991年以前では遺伝子型3型であったが、1994年以降の分離された株は遺伝子型1型に変わっていることが発見された。(馬らの研究、森田公一による) このことから、以前は日本土着の日本脳炎ウイルスが主であったが、近年は東南アジアからの飛来したウイルスに変わったことが判った。しかし、発病者はごくまれで増えていないことは、ウイルスに対する感受性は変化していないと考えられる。◇ 豚の中和抗体の調査では、まだまだ日本脳炎ウイルスが存在しているのも事実である。 屠場に集まる豚は、前年夏の日本脳炎ウイルスにさらされていない、しかも母豚の免疫の切れた生後5~8ヶ月の若い豚であり、その豚の抗体およびウイルス分離は、その年の流行状況を反映するとみなされている。抗体陽性豚の率が50%を超えると人間にも流行すると言われていた。しかし、調査規模は1995年以降半分に縮小され、2000年は29道都県の調査である。その結果は、感染の始まりは、沖縄県で5月には新鮮感染例が2頭確認され、7月には抗体保有率が100%に達した。その後北上し、7月には高知100%、三重、愛媛で50%を超え、8月下旬から9月以降広島、静岡、兵庫、富山、千葉で抗体保有率が50%を越えた。日本脳炎の終わりの10月までに屠場で検査された豚の80%以上に日本脳炎ウイルス感染が見つかった県は、調査した29道都県中18県に及び、陽性県は全体で24県であった。 §4.なぜ日本脳炎ウイルスがまだ存在するのに、日本脳炎患者が減少したか。 豚の抗体調査、蚊の調査からは減少は見られるものの、なぜ日本人の日本脳炎患者は激減したか。しかも、ワクチンはこどもにだけ接種され、以前は接種率は30%くらいであった。1994年の新感染症法の成立で、1995年以降は接種が推進され、接種率が上がったが、2000年の接種率は9~4歳39%、5~9歳79%、10~14歳85%、15~19歳92%で、14歳以下は、麻疹ワクチンの接種率には及ばず。しかも成人には接種されていない。それなのに、麻疹は流行しているのに、小児には日本脳炎は発生していないのは、なぜだろうか。(1)その理由として富山県衛生研の渡辺は、日本脳炎ウイルスの媒介蚊のコガタアカイエカからの検討で、1. 蚊の発生数が減少した。2. 蚊に刺される機会が少なくなった。3. 蚊の発生ピークが8~9月にずれた。4. 蚊(コガタアカイエカ)が日本脳炎ウイルスを保有しなくなった。 の4点をあげている。それだけであろうか。他の専門家からは、予防接種の効果としか語られていない。(2)私は、日本人と日本脳炎ウイルスの適応関係が出来上がったと主張する。(私の仮説) もちろん富山県衛生研の渡辺の指摘する、環境の変化も加味されるが、それだけではなく、人間の側の変化も見落とせない。不顕性感染が高いということは、人間の側に免疫能ができ、それが遺伝されていることを示しているのではないだろうか。これを私は人間の環境に対する適応と考える(デュボスより)。 私は、以上の事実と、医学医療の歴史から、なぜ病気が発生し、その後終焉していくかの歴史を見て、 ヒポクラテス、シゲリスト、デュボスらの適応説ないし病原環境説をとり、日本人の栄養状態や免疫状態や体力が向上したことと、長年日本脳炎ウィルスにさらされてきたことにより、日本脳炎ウィルスと適応してきたことが、理由として考える。(例、ペスト、梅毒、コレラ、発疹チフス、結核特にアメリカ先住民、疫痢など)◇ 病原体に感染した時に、感染局所の細胞免疫と、それを突破して侵入した血液中の液性免疫(抗体産生)によって、体内に感染するか、感染しても発病しないか、発病しても、軽いか重症化するか、死に到るかが、病原体の強さではなく、人間(宿主)側の自然にもつ抵抗力によっている。人間には、入ってきた病原体や異物に対して、それに対応する抗体を産生する。その産生する能力は1億種類以上といわれる。◇ その仕組みは、利根川博士によれば、一つの遺伝子が断片となって存在し、それらを合成して抗体を作る。そして胎児の発生の過程で胎児の細胞からリンパ球ができてくる際に遺伝子の配列に再構成が起こり、抗体遺伝子の構造が変化するという。(1981年の講演から、毎日新聞より)◇ 感染して、発病した人も、発病しなかった人も、生き残ったのは細胞免疫と、抗体を速やかに産生したからであり、その細胞免疫と抗体産生能力は遺伝子によって次世代に遺伝し、次第に細胞免疫と抗体産生能力を持つ人が増え、感染してその時に中和抗体がなくても、細胞免疫が感染を阻止または遅らせ、速やかに抗体を産生するために潜伏期間中に抗体が産生されるため発病に到らず、もしくは発病しても脳炎症状が出ずに軽快し、日本脳炎発病者が減少したのである。この状態を、日本人と日本脳炎ウイルスとが、適応関係が成立したと考える。それで日本人は、世代の進んだ子どもでの発病は、激減した。老人はそれを受け継いでいないことが多いし、ワクチンも受けていないことが多いから発病し、体力の落ちた人が死に到る。◇ そして他の病気でもそうだが、細胞免疫や抗体産生能力、つまり免疫状態が低下すると発病するので、発病する人が老人に集中するようになったのである。また感染する機会も減少していることも事実で、その為に前回の調査に比べて、抗体保有率が減少している。蚊のウイルス保有調査で、保有蚊が見つからなくなったが、豚の中和抗体の調査では、まだ日本脳炎ウイルスが存在しているのも事実である。 §5.日本脳炎ワクチン (1)どんなワクチンか?◇ 日本脳炎ワクチンは、不活化ワクチンと言って日本脳炎ウィルスを殺して作ったものなので、例え効果があるとしても発病する率が減るだけで、100%かかることを予防することはできず、発病し、日本脳炎になってしまう人もある。だから生ワクチンに比べて有効性に問題があり、予防注射をしても、かかることがある。また初めて注射した後、効果を期待できるのは1~2週間隔で2回接種した人で、時期は第1回接種後の1ヵ月後から。免疫の持続については、臨床的には確かめられておらず、1コース(初年度2回、翌年1回追加)の予防接種により過半数の人には少なくとも3~4年後にも中和抗体が証明されるので、その間免疫が残っていると考えられているが、現在は更にⅢ期の接種をしないと持続しないという。 でも免疫の主役はあくまで細胞免疫であり、抗体(液性免疫)ではなく、抗体があるからといっても細胞免疫があるかどうかは分からないので、中和抗体があるから発病を予防できるかどうかについては推論に過ぎない。◇ 現在種豚には日本脳炎生ワクチンを接種している。豚には不活化ワクチンは効かず、牝豚が流死産すると酪農家に打撃が大きいので、生ワクチンを用いている。生ワクチンは副作用が怖いので、日本では人には用いられていない。中国では生ワクチンを使用している。日本でも現在、新ワクチンを開発し、導入を検討している。しかし、その有効性を示す野外実験はされていない。あくまで抗体検査だけである。 (2)日本脳炎不活化ワクチンの有効性が証明されていない。◇日本における有効性を証明したデータはない。ワクチンの接種による中和抗体の上昇効果については多くの報告があるが、予防効果についてはデータがない。前述のように、予防には細胞免疫が必要なので、生ワクチンでは効果が期待できても、不活化ワクチンでは期待できない。◇ 更に、前記の2000年の厚生省の感受性調査の成績では、ワクチン歴の無いもので、ワクチン接種対象の年令層である0~9才で中和抗体陽性率が16%以上、10~19才では70~40%になっている。またワクチン歴の無しでも60才以上では80%の人が抗体を保有しており、その半面ワクチン接種歴のある人でも、必ずしも抗体保有者が100%にはならない。即ち実際に使用されているワクチンは、中和抗体で見ても効果が確認されなかった。ワクチン推進論者によれば、基礎免疫後5年前後抗体が持続し、効果があるという。しかし、中高年の成人はほとんどワクチン接種を受けていないから、抗体が低下し、かかっても良い筈であるがかかっていない。日本人の日本脳炎の減少は、決してワクチンによるものではない。なぜなら、種豚の日本脳炎罹患による流死産のリスクが高いために、豚には不活化ワクチンを使わず、生ワクチンを使用している。豚に不活化ワクチンは効かないのに、人間に効くという根拠はないし、データもない。あるのは抗体上昇という不確かなものだけである。ウイルスに対しては、細胞免疫が有効だが、測定する方法がツベルクリン反応しかないために、それで中和抗体で代用しているに過ぎない。だから、中和抗体が上昇したからと言って、ワクチンが有効との証明にはならない。自然感染の場合には、中和抗体が出来ていれば、細胞免疫もできているとされて、中和抗体の測定で代用されているに過ぎない。だから、野外実験が有効性の証明になるが、過去にさかのぼっても、日本での野外実験のデータはないし、現在の発生状況では、日本では実験する意味が無い。バイアスが多すぎて、判定できない。過去、日本製造のワクチンでの台湾での野外実験でも有効性は確認されなかった。 タイでの野外実験では、プラセボ群が21,516人に11人発病(2000人に1人)に対し、ワクチン接種群は43,708人に2人発病(2万人に1人)という、やや有効という程度であるし、日本人とタイ人では、日本脳炎ウイルスに暴露されている期間が違い、バイアスが多く、日本人にそのままあてはめられない。それは日本人の自然感染しての発病率が、5000人に1人以下であるので、統計上の比較にならないからである。感染症情報センターの言う、100~1000人に1人であれば、もっと発病者(罹患者)が出ていいはずである。(3)勧奨接種という名で半強制 以前は、臨時接種という名目で強制接種になっていたが、実施については都道府県に任されている為、都道府県の対応もバラバラであった。もちろん北海道は実施していなかったし、東北地方ではしていない県も多く、東日本は基礎免疫と1年後の追加をしてその後はしない所が多かった。熊本のようにその後も隔年に追加している所もあつた。それで日本全体の接種率は30%前後に落ちていた。しかし、インフルエンザワクチンがはずされて、勧奨接種になってから、接種率の引き上げが始まり、発生のない東北地方でも県知事が断らない限り、実施するようになってしまった。しかも、接種現場への接種率の引き上げ指示が厚生労働省から出され、接種率が2002年で1期で74%、3期で51%と上昇してしまった。これは半強制ではないのか。しかも発病率や死亡率の低い乳幼児や学童を接種対象としている。(予防接種の初めの頃は老人や、慢性疾患のある人を対象にしていたのだが。) (4)ワクチンの副作用◇ 1994~2003年度の日本脳炎ワクチン接種後の神経系副反応報告は 脳炎・脳症 27 うち 急性散在性脳脊髄炎とその疑い 18 その他の脳炎・脳症 9 けいれん 38 運動障害 3 その他の神経障害 20◇ 同年の総報告数からは 即時全身反応 234 うち アナフィラキシ- 115 全身蕁麻疹 119 神経系(前記) 88 局所異常反応(肘をこえるもの) 12 39゜C以上の発熱 142 その他の異常反応 97 基準外の発熱、局所反応、他は、報告だけで175あるが、通常は報告しないので実数は不明。総報告のうち、死亡は3人、後遺症は14人あった。この間の発病者数は、1994~2000年までで28人、小児は15歳1人がかかり、死者0人。全体では死者1人(87歳)であった。後遺症率15%。 これでは、日本脳炎にかかるこどもはなく、日本脳炎ワクチン被害者ばかりでているのが現状である。もう日本脳炎ワクチンは、ワクチンメーカーと病院や医師を儲けさせる手段に成り下がっている。こんな有効性の無い、危険なワクチンは即刻廃止しよう。 §4.病気の予防は何をすべきなのか。 (1)ワクチンは感染症の予防の一つの方法にしかすぎない。 感染症予防対策は、1)感染源対策、2)感染経路対策、3)感受性対策があり、感受性対策には、予防接種と共に、人間の身体的、精神的、社会的健康を保つことにある。◇ 日本脳炎の予防は、人間を防波堤として予防接種で防ぐよりも、蚊の防除をすることが第一で、その為には湿地帯や家の周辺の水たまりなどをなくすことが第一である。過去にヨーロッパでも湿地帯をなくすことによってマラリヤを消滅させている。◇ 石垣島はかってマラリアの濃厚汚染地域だったが、マラリアを媒介する蚊の撲滅に全島民が努力した結果、マラリアの撲滅を達成した歴史があり、それとともに日本脳炎の流行も終息した。マラリアの撲滅以後生れた小児の日本脳炎に対する抗体が、ほとんどない。◇ しかし、日本本土では、洪水を防ぐための遊水地や、渡り鳥たちのための湿地帯周辺で日本脳炎は流行していない。だから、この対策も有効性は不明である。 (2)ワクチンの見直しについて 1970年に三種混合ワクチンの副作用が多発し、種痘を含めて予防接種が社会問題化し、三種混合ワクチンが中止され、学会改革運動の中で1975年頃小児科学会でも委員会を作って、パネルディスカッションが持たれた。その時の報告では、小児科医の全国的規模でのコンセンサスは、有効とされたのはポリオ、麻疹、破傷風であった。そしてその時の結論として、◇予防接種の評価基準は、 予防の必要性 流行の 治療法の ワクチンの ワクチンの (病気の恐ろしさ) おそれ 確立 効果 副作用継続すべきワクチン + + - + -中止すべきワクチン - - + - +で+と-をあげて評価することであった。それ以外については略。 これで評価すれば、日本脳炎ワクチンは、治療法の確立以外は、中止すべきワクチンと評価される。 §5.最後に◇ 日本脳炎ワクチンは、有効性のデータが少ないのにまかり通っているワクチンである。現在、有効性の証明にタイの野外実験が使われているが、1920年代より流行してきた日本人にあてはめられない。◇ 東南アジアでの日本脳炎の流行は、日本→韓国、台湾、中国→タイ、インド、ミャンマー→ベトナム、ネパールと移ってきている。これを見るとその国の社会経済の一定の発展段階で大流行を起こし、その後社会経済の発展と共に人間とウィルスとの適応ができて、しだいに流行が衰えている。一説としては、水田が増えたことと、養豚農家が増えたことが東南アジアで増えた理由と言われているが、インドなどでの流行には説明できない。 結核と同じように、その社会と日本脳炎ウィルスとの適応が出来上がっていくと、発病率も、死亡率も低くなり、ウィルスと人間の共存が成立し、まれにしか発病しない病気になっていく。かってアメリカ先住民は結核によって、外来の白人に征服された。それはアメリカ先住民は、アジアからアメリカ大陸に入ったのが北米で5千年から1万年前と言われ、結核菌に遭遇していなかったので、白人が持ち込んだ結核によって次々と粟粒結核で死んでいって、少数しか生き残らなかったのである。しかし、3世代生き残ると、結核に対する抵抗力ができ、肺結核になる。しかも現代では白人と同じ発病率になった。梅毒も、西インド諸島からヨーロッパに持ち込まれた時には急性感染症であったが、(西インド諸島ではまれにしか発病しない病気だった)その後、しだいに慢性に経過する病気となり、現在では性感染症として日本でも余り問題にされていない。 なぜ社会のある発展段階で、大流行するかというと、まだ日本脳炎ではわかっていないが、なんらかの自然の生態系が変化して、蚊などの媒介生物の繁殖に変化があったと考えられる。例えば、アフリカでは森林に住んでいる猿につく蚊はマラリアを媒介せず、焼畑農業のために森を焼き払うと、草原になり、草原に住むヒトにつく蚊が増え、その蚊がマラリアを媒介し、マラリアが広がる。眠り病を媒介するツエツエ蠅も草原に住み、森を焼き払うと増える。日本脳炎でもなんらかの生態系の変化で大流行し、人間との適応関係を作って流行が終わる。 最大の適応説の証明は、ヨーロッパでのペストの終焉であり、マラリアに適応した結果発生した黒人の鎌形赤血球症である。◇ その理由が、人間は体内で細胞免疫や液性免疫の仕組みをもち、それが働くと遺伝子が変化して抗体形成し、細胞免疫もでき、病気にならないか、かかっても治る。多くの人はそれができずに死亡するか後遺症が残るが、運良く治った人は、それが働いたのであり、治ったあと生まれた子どもの一部が、その遺伝子を受け継ぎ、何世代もかかってその病気と適応関係を作っていく。その一部を利根川博士が証明したが、まだすべてが解明されている訳ではない。今後の医学的解明を待つしかない。 (3)病気の最良の治療法は予防である。 予防の第一は、健康を保つことである。健康とは、WHOの定義にあるように「病気でないだけでなく、身体的にも精神的にも、さらに社会的にも調和のとれて完全に良好な状態をいう」。日本で感染症が少なくなったのは、決して予防接種の成果ではなく、戦争をせず、平和に暮らし、軍備費をかけずに経済が発展し、社会経済的に安定したからである。ソ連崩壊後のソ連圏諸国で、結核やジフテリアなどの感染症が激増したり、アフガニスタンの内戦後でも感染症が激増している。世界では、約50カ国が、戦争もしくは内戦状態にあり、それらの国にエイズを始めとする感染症が多い。麻疹、結核、黄熱、デング熱、マラリアなども多い。 人間は本当に健康であれば、決して病気にならない。沖縄の百歳の長寿の人を調査した報告では、ほとんどの人が医者にかかるような病気をめったにせず、病気をしないから長寿なのである。悟りをひらいた宗教者たちも病気をしない。こころおだやかであれば、病気をしないのである。身体とこころの健康を保つことが大切で、それは社会的に形成される。現代日本は、平和だったから感染症が減ったのである。 病気は人間が環境に適応できない時になる。現代では、多くは社会的環境に適応できなくて病気にかかる。だから病気は常に、社会の中の弱者に多く現われる。だから低所得階層に病気が多くなる。でも経済的に豊かになっても、こころ豊かにならないとまた病気になる。皇室でも病気になる。それはストレスが病気を招く。こころ豊かな生活をおくることが病気を防ぎ、予防接種よりも大切なのである。 そしてそれは社会によって左右されるから、こころ豊かな生活のおくれる社会を作ることが最大の病気の予防である。北欧は感染症が少ない国と言われているが、成人病は多い。それは食生活、食習慣による。人間のこころと身体は、メタルの裏表で、一緒に揺れ動く。現代日本では、体の病気と心の病気が増えている。 ストレスや社会的環境と免疫の関係は、1962年バーネットが「伝染病の生態学」(紀伊国屋書店)、1973年にはモスが「病気と免疫の社会学」(紀伊国屋書店)を発表し、精神神経免疫学を提唱するハーバード大学精神科(ロック「内なる治癒力」創元社)を始め、日本でも心身医学や心療内科を中心に、多くの研究がなされ、発表されているが、ここでは省略する。 2004年の厚生労働省の日本脳炎ワクチンの検討会のヒアリングの資料とその他の資料から、以前からの私の考え(病原環境論または適応説)をまとめて見ました。