[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
<割りばし事故>4歳児死亡、両親「真実」求め6年余 東京都杉並区で99年7月、高校教諭、杉野正雄さん(54)の三男隼三ちゃん(当時4歳)の、のどに割りばしが刺さり死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた元杏林大付属病院の医師(37)に対する判決が28日、東京地裁で言い渡される。事故から6年8カ月。02年11月の初公判から計43回の公判の大半を傍聴した正雄さんと母文栄さん(49)は「隼三の死が無駄にならなかったと思える判決を聞きたい」と語る。 隼三ちゃんは99年7月10日、盆踊り会場で転び、持っていた綿あめの割りばしをのどに刺した。救急車で三鷹市の杏林大医学部付属病院に運ばれ、担当医は塗り薬をつけただけでCTスキャンなどはせず自宅に帰した。翌日、隼三ちゃんは死亡した。 02年8月に担当医は起訴されたが無罪を主張。両親にとって裁判は苦痛の連続だった。毎回の公判で事故を追体験させられ、悲しみが深くなる。傍聴席の最前列に座ると検事調書の解剖写真が見え、正雄さんは目をそむけようと眼鏡を外した。 それでも両親は法廷に通い続けた。「隼三にはもう運動会も入学式も卒業式もなく、この法廷だけが主役の舞台。裁判の場で隼三のことが語られている限り、親として見守り続けたい」(文栄さん)からだ。 証人出廷した文栄さんは、母親の自分が悪かったように「100%担当医の責任だと考えているのか」と問われたこともあった。「こんなにつらいなら、事実なんか分からなくてもいいから裁判をやめたい」という思いもよぎった。 隼三ちゃんが生前、正雄さんと一緒に近くの公園で拾ったドングリは、庭のプランターで正雄さんの背たけほどの高さに成長した。「医師は潔く過ちを認め、患者や遺族を傷つけることが今後は起こらないでほしい」。2人はそう願う。【佐藤敬一】(毎日新聞) - 3月27日8時6分更新
割りばし事故で医師に無罪判決 東京地裁2006年03月28日21時03分 杏林大学病院(東京都三鷹市)に勤務していた99年、男児(当時4)ののどに割りばし片が刺さっているのを見逃し死亡させたとして、業務上過失致死罪に問われた医師・根本英樹被告(37)に対し、東京地裁は28日、無罪を言い渡した。川口政明裁判長は「事故を予見し、結果を回避する義務を怠った」として根本医師の過失を認める一方、「すぐ専門医に引き継いでも、命が助かる可能性は低かった」と述べ、過失があったから死亡したとは言い切れないと判断した。検察側は禁固1年を求刑していた。 事故で死亡したのは、東京都杉並区在住の高校教員・杉野正雄さん、同・文栄さん夫妻の三男・隼三(しゅんぞう)ちゃん。綿あめの割りばしをくわえたまま転倒して同病院に救急搬送されたが、のどの奥に割りばしが刺さったまま帰宅。翌日死亡した。 判決は、搬送中に吐き、意識レベルが低下していたから頭蓋骨(ずがいこつ)の中の損傷を想定すべきだった▽それなのに頭部CTスキャン撮影やファイバースコープによる診察を怠り、消毒薬を塗るなどしただけで帰宅させた――として検察側主張にほぼ沿う形で過失を認めた。 一方、死因については弁護側主張を採用。「割りばしが頸静脈(けいじょうみゃく)に突き刺さったことによる静脈還流障害が死因である可能性が高い」と判断。そのうえで、頸静脈の修復が唯一の救命措置だったが、すぐに脳神経外科医に男児を引き継いでも、その措置は時間的、技術的に困難で、救命・延命可能性は極めて低かった――と結論づけた。 判決の末尾で川口裁判長は異例の「付言」。遺族の苦しい心境に触れる一方、事故の教訓を生かすことが男児の供養になると締めくくった。
<割りばし死亡事故>「なぜ無罪に」と両親 「適切な治療をしなかった医師がなぜ無罪なのか」。99年に東京都杉並区で杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)が割りばしをのどに刺して死亡した事故で、東京地裁が28日の判決で、当時の担当医の過失を認定しながら、救命の可能性がなく過失と死亡が結びつかないと判断したことに、遺族は悔しさをあらわにした。一方、判決で「医師として基本的な作業を怠った」と指摘された元担当医は、法廷で硬い表情のままだった。 無罪が言い渡された瞬間、隼三ちゃんの父正雄さん(54)は「頭が真っ白」になり、母文栄さん(49)は「凍りつき、体中の血が止まったように感じた」という。隣に座った長男(18)は「頑張れ」と母の手に自分の手を重ねた。 会見した正雄さんは「裁判長が救命は難しかったと判断した理由は、私たちが理解出来る内容とは到底思えない。直ちに控訴してほしい」と目を真っ赤にして話した。文栄さんも「過失があってカルテ改ざんも認められたのにおとがめなしでは、重い病気の人はどんな治療をされても刑事責任を問えなくなる。隼三の死が無駄にならなかったとは言えない」と声を絞り出した。 会見場の机には、隼三ちゃんがほほ笑む小さな遺影が置かれた。文栄さんは「隼三には『力が足りなくてごめんね。お父さんもお母さんもあきらめないでもう一回頑張るから見守って』と伝えたい」と話した。 事故が起きたのは、ウルトラマンが大好きだった隼三ちゃんが七夕の短冊に「正義の味方になって悪と戦いたい」と文栄さんに書いてもらった後だった。救急車で病院に運ばれたが、塗り薬を塗られただけで帰宅。翌朝、容体が急変した。 自宅の玄関には今も隼三ちゃんの小さな靴が、2人の兄たちの靴と一緒に並ぶ。「今でも5人家族」との思いからだ。 一方、被告の根本英樹医師(37)は判決後、弁護人に「無罪となったのは満足だが、過失が認定された点は残念」と話し、判決で指摘されたカルテの改ざんは否定したという。【佐藤敬一】(毎日新聞) - 3月28日21時21分更新